「国文学会報特別号 ― 土田將雄先生追悼号」

上智大学国文学会名誉会員の土田將雄先生のご逝去に伴い、「上智大学国文学会報特別号 ― 土田將雄先生追悼号」が発行されました。目次は次の通りです。

目次

「弔辞」                小林幸夫(上智大学教員)

「神父様からのアドバイス」       小田桐弘子(院修)

「この道の果たてに」          渡辺護(岡山大学名誉教授)

「土田先生の思い出」          大森亮尚(古代民俗研究所代表)

「わが母校」              渡辺清美(七二年卒 旧姓 村松)

「土田先生とのワンシーン」       堤てる江(七二年卒 旧姓 大友)

「あのハヤシライスをもう一度食べたい」 藤平和良(七三年卒)

「先生とのお別れ」           湯浅茂雄(実践女子大学文学部教授)

「かき霧らし雨の降る夜をほととぎす」  草野隆(八〇年卒 院修)

「尽きせぬ宿こそ」           加藤良子(七〇年卒 旧姓 益田)

無題                  平林清江(七一年卒 旧姓 比企)

無題                   川木冴子(七一年卒 院修)

「土田先生をお偲びして」         末沢明子(七二年卒 院修)

「土田先生という神父さん」        横山陽(七三年卒 院修)

無題                   渡邊良水(七三年卒 旧姓 柳沢)

「実学としての変体仮名講義」       小柳恵子(七四年卒 旧姓 倉品)

編集後記                 瀬間正之(上智大学教員)

『国文学論集52』の刊行

『国文学論集』第52集を刊行しました。 目次は次の通りです。

〈論文〉

「三条西公条の伊勢物語注釈―源氏物語注釈との関わりを通して―」

本廣 陽子

「芥川龍之介「芋粥」論―身体を超える認識の操作―」

木村 素子


「梁川紅蘭の中晩唐詩受容」

中野 未緒

「キリシタン版『日葡辞書』のラテン語注記の構造について」

中野  遙

「キリシタン版の表紙絵裏の本文の印刷に就て」

豊島 正之

〈平成二十九年度国文学会冬季大会パネル・ディスカッション概要〉

「「日本辞書言海」の解剖 」

平成30年度冬季大会の開催

上智大学国文学会

標記は、2019年1月12日(土)、予定通り開催致しました。

小雪の舞う中でしたが、学会員、国文学科在学生、一般の方など多くの方に御参加頂けて盛況の会となりました。

弔辞

弔辞

 

土田將雄先生、ここに、先生に教えを受けたり、いろいろな場所で先生と出会ったりした人たちが集まりました。一人一人、それぞれの思いを持って集まりました。それは、先生との関わりを確認し、先生ときちんとお別れをしたいとの思いからです。そのうちの一人として、私が僭越ながら、思いを述べさせていただきます。

先生は神父様として、教員として、研究者として、そして教育行政に関わる人として、つまり四つの分野で活躍されました。そのうち私は、教員としての先生と研究者としての先生という二つの面で先生と接することを得ました。

教員としての先生とは、私は上智大学の大学院で教えを受けました。主に中世和歌の、変体仮名で書かれた本文を学びました。ある時、先生は和歌を研究しているのだから歌会をやろうと言い出され、私たちは短歌をつくることになりました。そのうち、雑誌を出そうと言われ、つくりました。私がその三冊目を編集していると、小林君、これでやめよう、と突然言われました。私はあまりにきっぱりと涼しいお顔で言われるのに驚きました。それで、先生の言われるままにしました。今考えると先生は、教育効果も認められたし、先生ご自身も充分楽しまれたし、ここが潮時、と思われたものと思います。研究を豊かにする体験はほどほどにして、本道に戻ろうとしたものと思われます。私の方では、この先生の態度から、ものごとの〈区切り〉、生き生きとした時間は、区切ることによって保たれるものだ、ということを学びました。このように先生は果断に富む人でした。

研究者としての先生は私たちに〈意欲〉がいかに大切かをよく語られました。今から二年前に、上石神井のロヨラハウスに先生をお訪ねしていろいろとお話をうかがったときも、論文を書く〈意欲〉が〈努力〉を生み、論文の〈体(てい)〉というものがわかってくるのだ、と熱く語られました。先生の研究への思いは、大著『細川幽斎の研究』として燦然と輝いております。

先生はまた、上智大学国文学科に三十四年間勤められ、国文学科及び上智大学国文学会のために多大なるご寄付をされました。それによって奨学金を学生に与えたり、新進の研究者を育成する土田賞を設けるなどして、先生の思いを実現させていただいています。

先生の、私たち後進に対する温かい思いは、形としても心としても、私の胸に生きております。いま、ここに参集された人たち一人一人の中に、先生と一対一の関係で生きております。

思えば先生は短歌を詠み、書道をたしなみ、謡いをなされていました。天に行かれましても、そのよく透るお声で、謡曲を時々はうたってお過ごしください。先生、これまでありがとうございました。先生、さようなら。

 

平成三十年十月三十一日

上智大学国文学科教員  小林 幸夫

平成30年度冬季大会 要旨

上智大学国文学会 平成30年度冬季大会要旨

標記は、次の通りです。

大会プログラムこちらです。

平成三十年度冬季大会発表要旨

芥川龍之介「玄鶴山房」論―「看護婦」「ゴム印」の同時代表象をめぐって―  木村 素子

 

芥川龍之介晩年の作品である「玄鶴山房」(昭和二年)は、芥川自身が書簡において提示した「新時代」意識を探る考察が中心に行われてきた。その際、作中に登場するリープクネヒトの『追憶録』に描かれた家族と作品内の家族との比較や、「看護婦」甲野とは何か、また、「ゴム印の特許」と玄鶴との関係などが問題として追究された。

本発表では、それらの論を踏まえ、「看護婦」と「ゴム印」に焦点を合わせて考察を試みる。「看護婦」という職業は、大正四年から有資格者のみが就業できる規則が整えられたにも関わらず、世間からは軽視されていたという当時の社会状況を踏まえることや、「ゴム印」が同時代においていかなる状況にあったのかを考えることによって見えてくる作品の問題性を検討することとする。

 

夢〉を視る《神経》―谷崎潤一郎「柳湯の事件」をめぐる考察         村山 麗

 

谷崎潤一郎「柳湯の事件」(大正七年十月)は、長年極度の「神経衰弱」を患う絵描きのKが、恋人の瑠璃子を「ヒステリー」に罹っていると思い込み、その恐怖から見た「幻覚」によって引き起こした殺人事件とその自白を描いた作品である。先行研究では、その神経病表象を取り上げ、当時の精神異常者をめぐる法制度との関係の追究や、雑誌『変態心理』等同時代のメディアにおける神経病言説に基づく分析がなされている。これらの論は、作品をめぐる同時代資料を提出した点において注目される。

しかし、本発表では作品における「神経衰弱」が、「幻覚」を視るという特徴を持っている点に着目し、この作品が独自の《神経病》表象を有していることを明らかにし、文学における同表象の史的展開の上に位置づけたい。

 

シンポジウム概要

古典学と仏教学                          

瀬間 正之

仏教を措いて古典文学を語ることは不可能であろう。上代文学においては、仏教思想の影響は軽微とは言え、仏典を利用した表現は多々指摘されている。また、日本霊異記をはじめとする仏教説話集は、その重要な編纂意図の一つにまさしく唱導・伝道があった。中古となれば、仏教は民衆へ浸透を見せ始め、「宿世」「罪」は源氏物語の重要な題材となる。中世以降、平家物語・徒然草・方丈記などはまさしく仏教なしに語ることは出来ない。以後多くの古典文学が仏教の影響下にあることは言うまでもない。

また、古典研究への影響も見逃せない。一条兼良の古典研究の背景には、宋学はもちろんのこと、禅学の深い造詣が認められる。客観的方法による古典研究もまた悉曇学の研究方法を学んだ阿闍梨・契沖の創始になることは周知の通りである。

今回のシンポジウムは、仏教学研究者と古典文学研究者を招き、仏教学研究者から観た古典文学、古典文学研究者から観た仏教をそれぞれ語ってもらい、その後の討論の糧としたい。

 

平成30年度冬季大会 大会案内

上智大学国文学会 平成30年度冬季大会

標記は、次を予定しています。

発表要旨はこちらです。

日時
2019年1月12日(土)13:30〜
会場
上智大学 7号館14階特別会議室
研究発表(13:30〜)
「芥川龍之介「玄鶴山房」論―「看護婦」「ゴム印」の同時代表象をめぐって―」
上智大学大学院国文学専攻博士後期課程  木村 素子
「〈夢〉を視る《神経》―谷崎潤一郎「柳湯の事件」をめぐる考察」
上智大学大学院国文学専攻博士後期課程  村山  麗
シンポジウム(15:15〜)
古典学と仏教学
パネリスト
「中世曹洞禅宗における伝説の秘伝化―「片岡山飢人説話」を中心に」
サンヴィド マルタ(国際交流基金PhDフェロー・駒澤大学禅研究所研究員・ヴェネチア大学博士課程後期)
「和歌文学と仏教ー関係性の諸相ー」
山本 章博(大正大学准教授)
「アジア諸国の恋愛文学と仏教の関係」
石井 公成(駒澤大学教授)
趣旨説明及び上代の状況
瀬間 正之(上智大学文学部教授)
懇親会(18:00〜)
上智大学 2号館5階教職員食堂
会費 4000円
卒業生の方の御参加を歓迎します。

土田先生追悼文

土田先生追悼文

大正大学准教授 山本章博

一九九二年に入学した時、土田先生は学長最後の年でした。新入生としては学長が国文学科の先生であることが誇らしく、また神保町の一誠堂に先生のご著書『細川幽斎の研究』が並べられているのを見て、いつか自分もと憧れを抱いたことが鮮明に記憶に残っています。その後、先生の授業を受ける機会は残念ながらありませんでしたが、入学から一〇年余りを経た二〇〇三年に、第一回土田賞をいただくことになりました。高校の専任として勤めはじめて三年目、いよいよ多忙になっていった頃でした。その中でも研究を捨てなかったのは、土田賞の励みとプレッシャーがあったのは言うまでもありません。先生の御恩と「霞光音」のお言葉を胸に書き続けていきたいと思います。天の神のもと、これからも見守っていただき、叱咤激励をお願いいたします。

学会長あいさつ

平成30年7月7日に開催されました総会において、小林幸夫会長の任期満了に伴い、瀬間正之教授が新会長に就任されました。つきましては、次に両名の挨拶を掲載いたします。

 

上智大学国文学会会長退任のご挨拶               

小林 幸夫

 

平成三十年三月三十一日を以て上智大学を定年退職し、現在は特別契約教授として勤務しております。定年退職を機に、国文学会会長の職を辞したい旨を理事会に願い出、七月七日の総会によって承認されました。

私は、平成二十四年七月より三期六年にわたって職を務めさせていただきました。その間、歴代の会長全氏のもとで仕事をさせていただいたことを生かすことを旨に、できるだけ多くの会員が本学会に目を向けて下さり、大会に参加していただけるよう、理事の方々に諮って企画等を考えてきました。評議員の方々をはじめ、お力添えいただきました方々に感謝申し上げます。また、温かく見守って下さった会員の方々にお礼申し上げます。

さて、次期会長には瀬間正之教授が就任されました。氏は学部・大学院と上智国文ですごされました。ゆえに、上智大学及び国文学科・大学院の様子を最も体験的に知っておられる方の一人です。氏の経験と繊細な感性が、次の時代を発展的に切り拓いてゆかれること必定です。さらなるご支援をいただけますことと、会員の皆様のご健勝を祈り、退任の挨拶といたします。

 

二〇一八年七月

 


 

ご挨拶             

瀬間 正之

 

このたび、上智大学国文学会会長をお引き受けすることになりました。学部時代は、初代会長土田将雄先生の時代でした。まさか、その四十年後に会長に就くとは思いもしませんでした。思えば、国文学科長も国文学専攻主任も小林幸夫教授の後任でした。国文学会会長もと言うことで、小林教授の後任は三度目ということになります。

国文学論集には、大学院時代から四年連続投稿させていただく等、まさに、国文学会に育てていただいたという思いがしますが、これからは育てていくことも考えていかなければなりません。多くの会員に支えられ、今日まで発展してきた学会です。これまでの蓄積を継承するとともに、新元号のあらたな時代に向けてもさらなる発展を心がけて参りたいと思います。

周知のことですが、本学会は、卒業生を中心に教員・大学院生・学部生と多くの会員によって支えられています。研究発表と研究論文が学会の中心であることは言うまでもありません。学会誌、国文学論集も次号で五二号となります。その間、新進の研究者に授与される「土田賞」も創設されました。受賞者なしの時代も続きましたが、ここ数年の受賞者は、それぞれの全国学会等でも受賞歴を有する大学院生及び修了生となりました。着実に若手研究者も育ちつつあります。

本学会のもう一つの特色は、同窓会的側面も有している点にあります。同窓生の情報交換の場として知的向上心を充足させる場としても、いろいろな企画を考えていきたいと思います。

会員の皆様には、今後とも一層のお力添えのほど、宜しくお願い申し上げます。

 

平成30年度夏季大会 発表要旨

上智大学国文学会 平成30年度夏季大会要旨

標記は、次の通りです。

大会プログラムこちらです。

梁川紅蘭と『三体詩』―近世後期における中晩唐詩受容―              中野 未緒

梁川紅蘭は近世後期の漢詩人である。夫の梁川星巌が紅蘭に『三体詩』を暗誦するように言った逸話や星巌の交友関係より、紅蘭は『三体詩』をはじめとする中晩唐詩の影響を受けていたと考えられるものの、そのことに言及している先行研究は特に見当たらない。そのため本発表では『三体詩』を中心とした中晩唐詩受容について考えていきたい。紅蘭の『三体詩』受容は、『三体詩』の句の意味をそのままに借用しているものと、『三体詩』の自身の不遇や世の中の乱れを嘆いている句を、意味を逆転させて用いているものに分けられる。また紅蘭の『三体詩』以外の中晩唐詩の受容について、館柳湾が刊行した中晩唐詩の詩集に載っている詩が典拠として用いられているものがいくつかある。紅蘭が館柳湾の刊行した詩集に影響を受けていたという可能性を示していきたい。

 

マニラ版『ロザリオの経』の典拠について                     岩澤 克

マニラ版『ロザリオの経』はドミニコ会士Juan de los Angelesによって編纂され、1623年にマニラで刊行された修徳書であり、種々の奇跡譚を収録する。これは当時の欧州に広く流布する奇跡譚を編纂・翻訳したものと考えられ、各章段末尾に付される注記から、その著者名が窺える。その注記に挙げられる各著者の文献と内容や形式が一致しており、それらを典拠とする可能性が想定される。

最も多く名が挙げられるIoan Sagastizabalの著作『Exortacion a la santa devocion del Rosario de la Madre de Dios』は特に重要と考えられる。最も注目すべきは、『ロザリオの経』注記において、Sagastizabalの名が見えない章段においても一致が確認されることであり、その一致は巻4のほぼ全ての章段に渡る。このことから、『ロザリオの経』巻4の典拠は Sagastizabalの著作か、それを継承した文献であり、『ロザリオの経』は多様な著者名を挙げながらも、既に欧州において編纂されていた文献を孫引きする形で成立したものである可能性を指摘する。

 

風景論の移譲 ― 志賀重昂以後                          木村 洋

一八八〇年代後半から一八九〇年代の文学史は、経世家の顔と文学者の顔を併せ持つ、硬軟混在型の言論人の活躍によって特徴づけられる。その代表が志賀重昂だった。特に志賀の『日本風景論』(一八九四年)は硬派知識人の手になる新たな文学的成果として注目を集める。その革新性は、風景観(美意識)の複数性を考慮しつつ、操作的に既知の風景観の解体と再構築を推し進めねばならないという自覚の鮮明さにあった。そして後続の国木田独歩をはじめとする文学者たちは、濃厚な政治意識に染まっていたこの「風景論」という営みを、いっそう非政治的な自分たちの世代の気分にとって都合がよいように再加工し、所有し直した。ここに志賀の世代から非政治的な後続世代への新知見の移譲の儀式を確認できる。一連の経緯は、明治中期の表現と思想の歴史の発展形態を典型的に示す一例として注目に値する。

 

藤原宇合の風土記関与                              瀬間 正之

藤原宇合が『常陸国風土記』と『西海道風土記』に関与した可能性について、宇合の年譜を押さえながら、次の三点からさらに進めて追究していきたい。第一に『常陸国風土記』の「郷」字の出現箇所の検討である。『常陸国風土記』は多く「里」字を用いる中で数例「郷」字が使用されている。その理由を明らかにするところから宇合の関与を確認したい。第二に『西海道風土記』における平仄の問題である。『懐風藻』所載の宇合の詩序が平仄を整えているのに対して、『常陸国風土記』は、平仄に関して配慮されていない。それに対して『西海道風土記』では、平仄を配慮して書かれた箇所が認められる。この意味を問い正したい。第三に、改めて『西海道風土記』『常陸国風土記』『懐風藻』所載宇合作品に共通に用いられる語の検討を通して、宇合が風土記に関与した蓋然性をさらに高められれば幸いである。

平成30年度夏季大会 大会案内

上智大学国文学会 平成30年度夏季大会

標記は、次を予定しています。

発表要旨こちらです。

日時
2018年7月7日(土)13:30〜
会場
上智大学 7号館14階特別会議室
研究発表(13:40〜)
「梁川紅蘭と『三体詩』―近世後期における中晩唐詩受容―」
2018年上智大学国文学科卒業  中野 未緒
「マニラ版『ロザリオの経』の典拠について」
国立国語研究所プロジェクト非常勤研究員・上智大学非常勤講師  岩澤 克
「風景論の移譲 ― 志賀重昂以後」
上智大学文学部准教授  木村 洋
「藤原宇合の風土記関与」
上智大学文学部教授  瀬間 正之
総会(17:00〜)
土田賞表彰式
上智大学国文奨学金授与式
懇親会(18:00〜)
上智大学 2号館5階教職員食堂
会費 4000円
卒業生の方の御参加を歓迎します。