学会長挨拶

二〇二一年度 国文学会と大学院の近況

                    国文学会会長・国文学専攻主任 瀬間正之

 大学院の近況:昨年度は、新型コロナウィルス禍で、入学式もなく、一年間オンライン授業となりました。ガイダンスも、大学院の例会もオンラインでした。この三月の修了生は、前期課程の一名、満期退学者は後期課程の一名でした。

 本年度、大学院は、前期課程に四名の新入生を迎えました。後期課程は受験者からして0名に終わりました。昨年は定員ちょうどの三名の入学者を迎えましたが、前期課程修了者も一名でしたので、やむを得ません。したがって、本年度は、前期課程は八名、後期課程は六名(内、二名は三年以上在籍のため休学予定)となりました。分野別では、上代二名、中古四名、近世一名、近代三名、国語学四名です。留学生は、前期課程三名、後期課程一名と計四名と増加傾向にあります。

 明るい話題としては、最近の大学院修了者(課程博士号取得者)が今春、相次いで単著を刊行しています。葛西太一氏『日本書紀段階編集論』(花鳥社、二〇二一年二月)、中野遙氏『キリシタン版 日葡辞書の解明』(八木書店、二〇二一年三月)がそれです。ともに本学へ提出した博士論文が基になっています。また、葛西氏はこの三月、2020年度(第15回)漢検漢字文化研究奨励賞優秀賞を受賞しています。一昨年(第13回)の宮川優氏に続くものです。また、在学生では、黒川茉莉さんが、松下幸之助記念志財団の2020年度研究助成を獲得、本年度からは日本学術振興会特別研究員(DC2)に採用されています。

 国文学会の近況:昨年度は、周知のように、夏季大会は中止、冬季大会はオンライン開催でした。本年度は、夏季大会七月一〇日、冬季大会一月二二日を予定しています。会場は押さえてありますが、オンライン開催になる可能性は払拭できません。

 学会とは直接の関係はありませんが、昨年度秋にソフィア会に国文学科の同窓会が組織されました。学会の活性化にも繋がる慶事です。詳細は、https://www.sophiakai.gr.jp/news/faculty/2020/2020110501.htmlを御覧下さい。初代会長は、卒業生の湯浅茂雄氏(元実践女子大学学長、現教授)です。この三月の卒業式では、早速国文学科同窓会から卒業生に記念品が贈られました。また、学科に対しては図書費として寄付をいただいております。

会員新著紹介:葛西太一『日本書紀段階編修論 文体・注記・語法からみた多様性と多層性』

               宮川優(本学グローバル教育センター助教)

二月に、私の大学院の先輩である葛西太一氏がご著作を発表なさいました。
『日本書紀段階編修論 文体・注記・語法からみた多様性と多層性』と題され、その頭言に「本書では、日本書紀に〈正しさ〉を求めることに疑念を抱くことを旨とする。これまでに古訓や古注釈によって導き出された矛盾や誤謬の少ない是正された解釈を見直し、ありのまま書かれている通りに読解することを目指す。」(八頁)とある通り、私たちが敬愛する師である瀬間正之先生のご研究の流れを汲み、日本書紀の実証的な解釈を可能にするためのご調査、ご考察がまとめられた研究書です。
会員の皆様ならびに諸先生方にとっては読めば分かる紹介不要の本であるかと存じますので、ここでは皆様の周りにいらっしゃるかもしれない、上代文学に近寄りがたさを感じている方々や、私のような初学者を思い浮かべつつ、僭越ながら申し上げます。
葛西氏の後から上代文学を学ぶ私たちにとっては、新しい導き手となる、とても心強い一冊と思います。
私は、名立たる先生方の研究成果を前にいつも足が竦んでしまいます。おそらく、学部生を含めた初学者の皆様のなかには、少なからずそうした気後れのようなものがあると推察します。この本はその恐れを取り除き、研究とはどういうものなのかを明確に、そして懇切丁寧に語りかけてくれます。魅力あふれる上代文学の世界を先行研究の数々を繙きながら自然と学べる仕掛けが巧まず施され、可能な限り生の史料や文献に触れることや、多くの情報を鵜吞みにせず研究対象と向かい合うことをも、さりげなく励ましてくださっているように感じられます。
日本書紀研究の世界というものが三次元に存在するとしたら、今回、葛西氏はそれにx, y, z軸の座標を細かく示し、そこにぱっと光を照射して、この章あるいはこの節ではこの筋道を通ります、とレーザポインタか何かで辿ってみせてくださっているかのようです。丁寧に示された点を結び、同じく示された線をその向こうに透かして見れば、読み手は関連する知識の多寡にかかわらず、どのような側面について論じられているかを把握できます。
日本書紀を研究することの楽しさは私などが言い尽くせるものではありませんが、誰の手になるものか、どのように成立したかを明らかにするべくその跡を辿り考えを巡らすことは、その楽しみのひとつと言えます。
先行研究によって、日本書紀が複数の人々によって述作されたことが明らかにされており、現在に伝わる三十巻が成立した順序も含め、巻同士の関係性を論じる区分論が長らく研究の主流となっています。
第一章「文体・句読の差異からみた日本書紀」で照らされるのは、主にこの側面です。初出が「日本書紀の文体」(鈴木靖民 監修、瀬間正之 編修『「記紀」の可能性』所収、古代文学と隣接諸学一〇、竹林舎、二〇一八年四月二日刊)となっていますが、会員の皆様にとっては平成28年度冬季大会における「壬申紀の成立――日本書紀の句読と文体意識――」と題されたご発表もご記憶に新しいと思います。
葛西氏は従来の区分論にさらに踏み込み、句読の示し方を手掛かりに新たに甲乙丙丁の四区分を提示し、甲群と乙群との述作者が異なること、天武紀上下巻の述作者ないし述作段階が異なること等を指摘なさいました。
その鮮やかさ、面白さに頁を繰るだけで胸が躍りますが、このご研究の新しさは散文全体を対象とした網羅的な調査・検証によって従来の区分論との一致・不一致を認めたこと、さらに考究すべき幾つかの特徴的な記事を見出したこと等にあると考えられます。
それらの成果が図表を用いて先行研究の流れのなかに分かりやすく配置されていることや、「腑分けして調査をする」「調査結果を統合して考察する」という研究のふたつの方向性を追体験できる分かりやすい解説が読み手に楽しさをもたらしてくれます。
この楽しさは、第二章、第三章においても引き続き提供されます。
第二章「注記・表現の重複からみた日本書紀」には第一章の成果が展開され、日本書紀の述作や編纂をを基層・表層・深層の折り重なった多層的なものと捉えたうえで、その方針や構想がいかに変化して現存する本文を成り立たせたかが明らかにされます。検証の焦点は丙群の内部に絞られ、表記とそれによって指示される内容とを行き来しつつ論が進められます。
このうち第四節「『頼』字の古訓と解釈」では、「対象語句を古典中国語の枠組みの中で捉え、外国語そのままに解釈を行おうとする視点」と「対象語句の背景に当時の和語ないしは和語に基づく訓読のあることを前提として、これを古典中国語によって表記した翻訳語として解釈を行おうとする視点」との、二つの視点のいずれをもって日本書紀を読解すべきかという研究課題が提示されるとともに、「古訓」に関しても、その有用性の検証や、それが示す解釈と古典中国語としての解釈との齟齬に関する考察の必要性が説かれます(一五〇頁~一五一頁)。これはそのまま第三章への澪標となっている部分で、「経典や史書に範を求めた文言文」「六朝美文」「俗語小説にみられる表現」「漢語を和化した表現」「和語を漢字で表したもの」等、日本書紀に様々な表現が混在していることを読者に説いたうえで、介詞「頼」の用例に一つひとつ当たって各々の特性を明らかにし、そこに日本書紀の編纂段階と編纂方針の転換を見ています。
第三章「語法・表記の揺らぎからみた日本書紀」に至り、論は最高潮に達します。漢籍や古辞書における用例と日本書紀における用例とを具に対照し差異を見極めることによって、任意の漢語表現が有する背景に迫り、そこにどのような意味があるのかを炙り出します。その検討は時間軸・空間軸が念頭に置かれ、語義、語法、語序、文脈といったあらゆる角度から為されます。
一冊を読み終える頃には、日本書紀の多様性・多層性の有り様が、先行研究の多様性・多層性と共に感得せられます。
終章において葛西氏は、「日本書紀の特質は、これまでにも多元性や複数性という言葉によって形容されてきたように、多層性と多様性が緩やかに包摂されている点にある。」「日本書紀に見られる多層性と多様性は、不作為に起因するものと捉えるには規模が大きく、むしろ意図的に残されたととらえるべきように思われる。」と指摘なさっています(三五〇頁~三五一頁))。ここに示された見通しは私たちにとって灯台のようなものに感じられます。
そして、頭言で述べられているように日本書紀を書かれている通りに読解することの意味がしんと沁みてきます。
他分野を研究なさっている皆様にも上代の文学研究の最先端をぎゅっと凝縮した一冊としてお楽しみいただけると思いますので、是非お手に取ってご覧ください。
研究書を普段はお読みにならない方々にもお勧めいたします。その醍醐味を余すところなく味わっていただけると思います。

(花鳥社、二〇二一年二月二八日刊)A5版三五九頁+索引八頁

学科長退任のご挨拶

学科長の役目を終えて

長尾 直茂

 この三月で五年間の学科長の任期を終えた。本来は二〇一五年四月にその任に着かなければならなかったのであるが、当時研究機構長という役職の二期目の最後の年度にあって、どうしても引き受ける事が出来ず、服部先生に一年間の約束で学科長をお引き受け願った。しかしながら、不測の事態で研究機構長の役職の三期目を引き受けざるを得ない状況となり、止むなく二〇一六年四月から研究機構長と学科長の二足の草鞋を履くことになった。裸足でいることを好む者が二足も履かされるのであるから、歩きづらいこと甚だしかった。結局、二年間は歩いたり立ち止まったりしながらも、二足の草鞋で過ごした。

 その後、三年間は学科長の仕事に専念したわけであるが、別に何か特段のことをやったわけではない。大きな改編期にあったわけでもないし、比較的平穏無事な時期の方が多かったように思う。というよりは、おそらく五年間の任期中にやらねばならかった事が多々あったのかもしれないが、ルーズな私が何も手を着けず、無理矢理に平穏無事にしてまったのであろう。かく平穏無事であったと思い込もうとしている任期中に、忘れられないことがある。その一つは、二〇一八年二月に木越治先生が他界されたことである。

 木越先生には、定年退職後も非常勤講師として学科をバックアップして頂いており、近世文学の分野は先生に全幅の信頼を寄せて学科のカリキュラムを考えていた。そのため先生のご体調が深刻なものであることを知りながらも、無理を願って年度末の成績処理や次年度の講義準備等をお願いし、先生に更なるご負担をお掛けすることになってしまった。先生が突然に亡くなり、学科長の私と事務の重村さんとで葬儀に参列して御霊前に額づいたが、その申し訳なさは今も消えることはない。

 もう一つの忘れられぬ事は、やはり本年度に猖獗を極めたコロナウィルス禍である。昨年度末の卒業式が中止となった頃から大学の学事暦は何度も変更を余儀なくされ、あれよあれよという間に大学における様々な活動は制限され、講義すら危ぶまれるような状況に陥った。その頃のことは、あまり思い出したくないのであるが、いま思い出されるのは、来る日も来る日もコンピュータに向き合ったことである。日々数多くのメールを読み、数多くのメールを発信した。机に就いてコンピュータを開くことから毎日が始まり、メールをチェックし、その対応のための文書を作成し、今度はこちらからメールを返信する。Zoom講義が始まると、事務作業の合間にコンピュータに向かって講義を行うという日常が新たに加わった。コンピュータ無しでは、もう何も出来ないという新たな日常であった。こうした日常を経験した身として、ひしひしと感ずるのは、もう以前の日常をそのままの形で取り戻すことは出来ないであろうということである。おそらく今後の大学は、私が学科長であった五年間とはまったく違うところへと漕ぎ出してゆくのであろうと思う。しかし、次の学科長である福井先生が巧みに舵取りをして下さるであろうから、その新たな航海への不安はまったくない。

 さて、学科長の任期を終えたので待望のサバティカル・リーブに入りたいと考え、今度はロンドンのSOASに行ってみたい、その頃にはコロナも下火になっているだろうから、ソーホーでアイリッシュビールをチェイサーにジンを呷ってやろうなどと夢想して、独りほくそ笑んでいたが、残念ながら夢は破れた。二〇二一年四月から文学研究科委員長という見当もつかぬような役職に就くことになった。学科長の時と同じく、多くの人に迷惑を掛けることになるかと思うと、ただただ気が重い。

『国文学論集54』の刊行

『国文学論集』第54集を刊行しました。 目次は次の通りです。

〈論文〉

「女一宮論再論―国冬本源氏物語を通して変容するもの―」       

越野 優子

1~18

「手習巻の浮舟に対する「うつくし」「うつくしげなり」―身代わりを象徴する言葉として―」

藤田 亜美

19~36

「享保期艶書小説の当代性―『当流雲のかけはし』とその周辺―」

岡部 祐佳

37~54

「芥川龍之介「手巾」論―「(マニイル)」・「臭味(メツツヘン)」という翻訳言語―」

木村 素子

55~71

「自然災害教材としての三浦綾子『続泥流地帯』」

濱村  愛

73~89

「イエズス会日本語文法の「格」の由来」

黒川 茉莉

104(1)~122(19)

2020年度冬季大会 発表要旨

『日本書紀』と六朝口語 /石璽彦

『日本書紀』は周知の通り、漢文で書かれた日本最初の正史である。しかしその漢文の表現は、古来から不自然だとする指摘もある。また、その表現に多くの当時の中国口語が含まれることは小島憲之氏・瀬間正之氏・唐煒氏などにより、多くの先行研究で提示されており、『日本書紀』の表現形成で大きな役割を担うことが証明されている。この中に、伝来した漢訳仏典の影響が多いことが注目されており、多くの論述もその視点で論証されている。しかし、『日本書紀』の「地の文」・「会話文」という視点から中国口語の用法を考察する方法は未だまだ採られていない。

したがって、今回の発表では、『日本書紀』全文の中国口語用例を摘出し、「地の文」・「一重会話文」・「二重会話文」という三つの種類を分類し、テーブル式で整理する。データを集計し、分布・使用傾向・偏在などを一層明瞭にすることを目指したい。

キリシタン版『サントスの御作業 内抜書』「言葉の和らげ」の掲載語彙 / 中野遙

キリシタン版『サントスの御作業 内抜書』(1591)には、本文中の分別しにくい語を説明した「言葉の和らげ」が付されているが、立項されている語の全てが本文中に見える訳ではない。本文不在の語は同音異字語が多く、また、漢字表記を持つ見出しであっても、その表記を示唆するルビが付されていない場合が多い。本文不在の語が同音異字語に多いのは『ヒイデスの導師』(1592)の「言葉の和らげ」などに於いても顕著であり、編纂側も本文中の正確な漢字表記を把握しないままに語釈を付したためと考えられる。先行研究の通り、「言葉の和らげ」に見られる語義は原則として本文に依存したものであるが、一方で、本文文脈から切り離されて語釈を付す作業が行われ、同音異字語を本文文脈に即して選択する事が出来なかった可能性を指摘する。

また、「言葉の和らげ」間での収録語彙の比較から、『サントスの御作業』「言葉の和らげ」掲載語彙の性格を明らかにする。

近代日本における廣瀬武夫漢詩の受容 ~「正気歌」を中心に~ / 笹本玲央奈

明治四十三年、夏目漱石は「文芸とヒロイック」「艇長の遺書と中佐の詩」と題する評論を発表した。前者において、漱石は同年の海軍第六潜水艇沈没事故で殉職した佐久間勉大尉の遺書に言及し、後者では、明治三十七年に日露戦争で戦死した廣瀬武夫中佐の漢詩について、佐久間大尉の遺書と比較しつつ批判している。

周知のように、漱石の漢詩は高く評価されているが、漱石がなぜ廣瀬の詩を批判したのかという点については十分に解明されていない。私見では、漱石は西洋文学を規範とする自身の文学論に基づいて廣瀬の漢詩を論じており、それは後の「則天去私」とも関わる問題である。一方で、漱石の批判にも関わらず、廣瀬の漢詩はその後も現代に至るまで多くの詞華集に収録され、詩吟にもうたわれて国民に親しまれてきた。そのことは何を意味するのか。本発表では、廣瀬武夫漢詩の受容について、漢詩の近代化をめぐる議論や戦争との関わりも視野に考察したい。

慈円「四十八願三首和歌」をめぐって / 山本章博

慈円の私家集『拾玉集』第四(4196〜4199番)に、「上人勧進講四十八願之席同詠三首和歌」と題して「阿弥陀四十八願第六」「月」「無常」を詠んだ三首和歌がある。これについては、同じ組題である「家隆家四十八願勧進和歌」(藤原家隆『玉吟集』所収)と同時のものであった可能性について、山本一氏が和歌文学大系『拾玉集』の脚注においてわずかに言及するのみで、これまで特に注目されることのなかった作品である。

本発表では、この三首和歌と「家隆家四十八願勧進和歌」との関係について改めて検討し、さらに草稿を含めた四首の和歌表現について分析する。その結果として、嘉禄元年(1225年)、死を目前にした生涯最後の和歌で、西行歌からの影響を受けたものであることを指摘する。

上智大学国文学会会員の皆様へ

この度の新型コロナウィルス感染拡大の影響により、大学も入構禁止となり、学生はオンライン講義、教職員は在宅勤務を余儀なくされております。このため、本学会も事務業務が休止しており、例年4月末に「会員通信」と「会費納入のお願い」をお送りしておりますが、今年度は、お送りするのが8月になりました。

1.国文学会と大学院の近況(2020年8月)

2.国文学科近況(2020年8月)

3.国文学論集54 投稿募集(2020年9月12日締切)

 投稿は、締め切りました。

4.国文学会冬季大会・総会について

    今年度は夏季大会を中止いたしました。冬季大会は2021年1月23日(土)にオンラインで開催し、総会は冬季大会にて開催いたします。詳しくは、冬季大会案内を御覧下さい。また、現会長の任期が2020年度夏季大会までとなっておりますが、冬季大会まで延長いたします。

5.「土田賞」について        

 2020年1月に発行された『国文学論集53』掲載の応募論文を対象に、春の理事会にて土田賞の選考を行う予定でしたが、秋の理事会に持ち越すことといたしました。受賞者が決定した場合、冬季大会総会にて授賞式を行います。

6.国文学会へのお問合せ・ご連絡について   

 上智大学国文学会へのご質問やご住所・お名前変更などの連絡はメールでお願いいたします。       E-mail jouchikokubungakkai@yahoo.co.jp

7.国文学会会費納入について

 2020年度(2020.4.1.~2021.3.31.)の会費納入のための郵便振替用紙の発送は、事務局業務再開後となりますが、銀行からの振込、ネット振込で納入下さる場合は次の口座にお願いいたします。

    他金融機関からの振込用口座   

ゆうちょ銀行  〇一九(ゼロイチキュウ)店(019)

当座 0075907  上智大学国文学会

2020年度冬季大会発表者募集(※締切を延長しました)

今年度の冬季大会は、2021年1月23日(土)を予定しております。(開催形態は未定です)。

発表御希望の方は、下記の内容を明記の上、お申し込み下さい。

お申し込みは、原則として、発表題目・発表要旨のpdfをメールに添付して御送付下さい。

応募締切は、2020年11月10日23:59JSTまでにメールが到着のもの、郵送の場合は、2020年11月10日必着となります。

学会理事会にて発表者を決定し、その結果を御通知します。

1. 発表者名・所属

2. 発表の題目(仮題でも可)と発表要旨(200~400字程度)

3. 発表時間は30分とします

4. 応募先:

〒102-8554 東京都千代田区紀尾井町7-1 上智大学 文学部国文学科内

上智大学国文学会事務局

電話・FAX 03-3238-3637

e-mail: jouchikokubungakkai@yahoo.co.jp

国文学科近況(2020年8月)

コロナ禍中の国文学科について             2020年8月23日

                       国文学科長 長尾 直茂

 誰しもが、(こんな事になるとは)と悪夢に魘されるかのような、年度末から年度初めにかけての忌まわしい時期を過ごされたものと思う。以下、時系列的にコロナ感染症流行のために影響を蒙った学科行事について備忘録的に書き留めて、近況報告に代えたいと思う。

 新型肺炎の感染症が中国で流行し始めたことは2020年の正月には、すでに身近な話題となってはいたが、その時点では正しく対岸の火事のようなもので、誰もがこのような世界的な感染拡大となることなぞ想像すらしていなかったであろう。それが証拠に、1月11日(土)には予定通り国文学会が開催され、2020年3月を以て大学を退かれる予定であった、小林幸夫・西澤美仁両教授の記念講演を恙なく執り行い、学会後は会場を四ツ谷駅前の主婦会館に移して歓送会を行ったのである。コロナウィルス流行下の現在からは到底考えられないことであるが、宴席には両先生を慕って多くの卒業生も駆けつけ、それはそれは盛大で賑やかな会であった。

 2月初めには一般入試が始まり、通常通りの日程で全試験を実施した。しかし、この際にはすでに日本におけるコロナウィルスの流行が問題視され始めていたため、入試日程が予定通りこなせるか否かで、関係部署はひじょうに気を揉んだとの事、後に耳にした。確かにコロナウィルスがひたひたと忍び寄って来ていることが、日々刻刻とわかるような時期であった。国文学科には例年と変わらぬ数の受験生があり、無事に新入生60名を選抜することができた。

 2月の中旬には大学院の修士論文口頭試問や大学院入試も予定通り行うことができたが、この頃には相当に雲行きがおかしくなっていた。横浜の大黒埠頭に停泊したままのダイヤモンド・プリンセス号内のパンデミックが連日のように報道されて、人々の不安は日増しに高まって来ていた。

 2月下旬に大きな転機を迎えた。これ以降は全ての行事が中止となった。大学院修了生の壮行会や学科会議等の人の集まる会合は取り止めざるを得ず、学内の課外活動も全面的に中止となった。学生のいない大学は、風ばかりが吹いて閑散として寂しかった。この後、3月24日(火)に挙行される予定であった卒業式すら取り止めになった。それでも24日には袴や背広の礼服を身にまとった卒業生がキャンパスに集まり、互いに卒業を喜び合う姿がここかしこに見受けられた。謝恩会の開催も大学から中止するよう通達があり、われわれ教員は卒業生と別れを惜しむ機会もなく年度を終えることとなった。

 4月からの新年度については、思い返したくもないほどの状況であった。入学式も取り止め、オリエンテーション・キャンプもフレッシュマン・ウイークも当然のごとく無し。非常事態宣言が発令されてからは、加速度的に諸般の行事の中止が決定され、大学構内にすら自由に入ることができないような状況となった。講義の実施もオンラインとなり、対面で行う講義は全て禁止された。新入生60名と顔を合わせることもなく、新年度が始まったのである。

 こうした最中に学科には、新任教員として山本章博准教授が着任された。山本准教授は本学及び大学院に学ばれた方であるので、学会員の多くはご存知のことと思うが、中世文学を専門とされ、3月を以て退休された西澤教授の講義を引き継ぐ形での着任となる。山本准教授が学科のスタッフに加わり、小林・西澤両教授が退かれたことで、学科所属の教員は8名となった。依然として近世文学を担当する教員を欠いている状況ではあるが、学科が若返りを図りつつ着々と優秀なスタッフを迎えて活性化の傾向にあることは、何よりの慶事であると思う。

 5月25日(月)よりオンラインでの講義を開始して以降、6月に開催予定であった、高校生向けのオープンキャンパス、保護者を大学に招いての地域懇談会も三密を避けるために中止。7月11日(土)に開催予定であった国文学会も遺憾ながら中止とした。かくして前代未聞の春学期は終了した。そして、今なお全国的にコロナウィルス感染者がじりじりと増加する傾向にあることをうけて、大学では秋学期の講義も基本的にオンラインでの講義とすることに決定した。1年間にわたって対面での講義を行わないという、前代未聞の事態となることがすでに決まっているのである。

 秋学期には入学試験という、大学にとってきわめて大切な行事がある。こればかりは中止するわけにはゆかず、何としてでも実施せねばならないのであるが、前代未聞のことが起こらぬことを祈るばかりである。

 次回の近況報告では、学科の明るい展望を学会員の皆さまに報告したいと切実に思う。

国文学会と大学院の近況(2020年8月)

国文学会と大学院の近況                 2020年8月21日

               国文学会会長・国文学専攻主任 瀬間正之

 新型コロナウィルス禍で、卒業式・入学式もなく、春学期は試行錯誤のオンライン授業となりました。未だに新入生とは対面しておりません。卒業生とは、卒業証書配布の日に、それぞれの研究室単位で、数分立ち話を交わしたのみです。もちろん、学部の謝恩会も、大学院の壮行会も中止でした。

 大学院は、前期課程に四名、後期課程に三名の新入生を迎えました。昨年は前期課程0名、後期課程1名のみでしたので、活性化が期待できますが、授業はすべてオンラインで、新歓コンパも、毎月の例会も中止です。唯一、Zoomで自己紹介を兼ねた研究の現況の発表会を行ったのみです。

 今のところ、学生はもちろん、教員も原則として自宅待機です。学生はかろうじてあらかじめ手続きをすれば、図書館に短時間入室し、図書を借りられるようにはなりました。大学院生も手続きをすれば、国文学研究室の利用ができるようになってはいます。教員の入校も正門で教職員証の提示が必要です。学科事務室も現在は原則水曜日のみの開室です。秋学期もオンライン授業となることが決定しました。

 本学会も三密を避け、夏季大会は中止せざるを得なくなりました。帰省自粛とGOTOキャンペーンの共存が象徴するように、政権は相変わらず、密会・密談・密約の三密を繰り返しているようです。このままでは、冬季大会の開催も危ぶまれます。この秋から多くの学会がZoom開催の方向で大会を計画しています。冬季大会もオンライン開催となるかも知れません。

 さて、明るい話題を一つ。昨夏は、国際シンポジウム「第二回 日語日文学研究の現在」を釜山大学で開催しました。第一回の二〇一四年は、釜山大学日語日文学科と上智大学国文学専攻主催、釜山大学日本研究所共催という形でしたが、昨年は共催に上智大学国文学会も加わりました。大学院を修了したばかりの若手研究者も発表に加えるための措置でした。八月二六日出発、二七日に両校の院生・若手研究者の発表と懇親会、二八日は『高麗大蔵経』の版木を残す世界遺産海印寺・慶北大学博物館などを見学、二九日帰国という慌ただしい日程でしたが、有意義な交流となりました。写真はシンポジウム会場と海印寺で撮ったものです。

シンポジウム会場にて
海印寺にて

 冬季大会でお会いできればと思いますが、どうなることでしょうか。