学科長退任のご挨拶

学科長の役目を終えて

長尾 直茂

 この三月で五年間の学科長の任期を終えた。本来は二〇一五年四月にその任に着かなければならなかったのであるが、当時研究機構長という役職の二期目の最後の年度にあって、どうしても引き受ける事が出来ず、服部先生に一年間の約束で学科長をお引き受け願った。しかしながら、不測の事態で研究機構長の役職の三期目を引き受けざるを得ない状況となり、止むなく二〇一六年四月から研究機構長と学科長の二足の草鞋を履くことになった。裸足でいることを好む者が二足も履かされるのであるから、歩きづらいこと甚だしかった。結局、二年間は歩いたり立ち止まったりしながらも、二足の草鞋で過ごした。

 その後、三年間は学科長の仕事に専念したわけであるが、別に何か特段のことをやったわけではない。大きな改編期にあったわけでもないし、比較的平穏無事な時期の方が多かったように思う。というよりは、おそらく五年間の任期中にやらねばならかった事が多々あったのかもしれないが、ルーズな私が何も手を着けず、無理矢理に平穏無事にしてまったのであろう。かく平穏無事であったと思い込もうとしている任期中に、忘れられないことがある。その一つは、二〇一八年二月に木越治先生が他界されたことである。

 木越先生には、定年退職後も非常勤講師として学科をバックアップして頂いており、近世文学の分野は先生に全幅の信頼を寄せて学科のカリキュラムを考えていた。そのため先生のご体調が深刻なものであることを知りながらも、無理を願って年度末の成績処理や次年度の講義準備等をお願いし、先生に更なるご負担をお掛けすることになってしまった。先生が突然に亡くなり、学科長の私と事務の重村さんとで葬儀に参列して御霊前に額づいたが、その申し訳なさは今も消えることはない。

 もう一つの忘れられぬ事は、やはり本年度に猖獗を極めたコロナウィルス禍である。昨年度末の卒業式が中止となった頃から大学の学事暦は何度も変更を余儀なくされ、あれよあれよという間に大学における様々な活動は制限され、講義すら危ぶまれるような状況に陥った。その頃のことは、あまり思い出したくないのであるが、いま思い出されるのは、来る日も来る日もコンピュータに向き合ったことである。日々数多くのメールを読み、数多くのメールを発信した。机に就いてコンピュータを開くことから毎日が始まり、メールをチェックし、その対応のための文書を作成し、今度はこちらからメールを返信する。Zoom講義が始まると、事務作業の合間にコンピュータに向かって講義を行うという日常が新たに加わった。コンピュータ無しでは、もう何も出来ないという新たな日常であった。こうした日常を経験した身として、ひしひしと感ずるのは、もう以前の日常をそのままの形で取り戻すことは出来ないであろうということである。おそらく今後の大学は、私が学科長であった五年間とはまったく違うところへと漕ぎ出してゆくのであろうと思う。しかし、次の学科長である福井先生が巧みに舵取りをして下さるであろうから、その新たな航海への不安はまったくない。

 さて、学科長の任期を終えたので待望のサバティカル・リーブに入りたいと考え、今度はロンドンのSOASに行ってみたい、その頃にはコロナも下火になっているだろうから、ソーホーでアイリッシュビールをチェイサーにジンを呷ってやろうなどと夢想して、独りほくそ笑んでいたが、残念ながら夢は破れた。二〇二一年四月から文学研究科委員長という見当もつかぬような役職に就くことになった。学科長の時と同じく、多くの人に迷惑を掛けることになるかと思うと、ただただ気が重い。

2020年度冬季大会

標記は終了致しました。

今年度の国文学会冬季大会は、zoomによるオンライン開催とします。

学会員で、参加、又は資料の入手を希望される方は、

こちらのフォームにお名前とメールアドレスをご登録下さい。大会が近付きましたら、URLをお送りします。

[開催日時]

2021年1月23日(土)13:30~18:00

[研究発表]

詳細は、研究発表要旨を御覧下さい。

13:40 『日本書紀』と六朝口語 / 石璽彦(上智大学国文学専攻博士後期課程)

14:20 キリシタン版『サントスの御作業 内抜書』「言葉の和らげ」の掲載語彙 / 中野遙(日本学術振興会特別研究員)

休憩

15:20 近代日本における廣瀬武夫漢詩の受容 ~「正気歌」を中心に~ / 笹本玲央奈(フェリス女学院中学・高等学校国語科非常勤教員)

16:00 慈円「四十八願三首和歌」をめぐって / 山本章博(上智大学文学部准教授)

16:50 [総会]

1. 役員(会長・評議員)の改選
2. 2019年度決算
3. 2020年度事業計画・予算案
4. 2019年度土田賞授与式

2020年度冬季大会 発表要旨

『日本書紀』と六朝口語 /石璽彦

『日本書紀』は周知の通り、漢文で書かれた日本最初の正史である。しかしその漢文の表現は、古来から不自然だとする指摘もある。また、その表現に多くの当時の中国口語が含まれることは小島憲之氏・瀬間正之氏・唐煒氏などにより、多くの先行研究で提示されており、『日本書紀』の表現形成で大きな役割を担うことが証明されている。この中に、伝来した漢訳仏典の影響が多いことが注目されており、多くの論述もその視点で論証されている。しかし、『日本書紀』の「地の文」・「会話文」という視点から中国口語の用法を考察する方法は未だまだ採られていない。

したがって、今回の発表では、『日本書紀』全文の中国口語用例を摘出し、「地の文」・「一重会話文」・「二重会話文」という三つの種類を分類し、テーブル式で整理する。データを集計し、分布・使用傾向・偏在などを一層明瞭にすることを目指したい。

キリシタン版『サントスの御作業 内抜書』「言葉の和らげ」の掲載語彙 / 中野遙

キリシタン版『サントスの御作業 内抜書』(1591)には、本文中の分別しにくい語を説明した「言葉の和らげ」が付されているが、立項されている語の全てが本文中に見える訳ではない。本文不在の語は同音異字語が多く、また、漢字表記を持つ見出しであっても、その表記を示唆するルビが付されていない場合が多い。本文不在の語が同音異字語に多いのは『ヒイデスの導師』(1592)の「言葉の和らげ」などに於いても顕著であり、編纂側も本文中の正確な漢字表記を把握しないままに語釈を付したためと考えられる。先行研究の通り、「言葉の和らげ」に見られる語義は原則として本文に依存したものであるが、一方で、本文文脈から切り離されて語釈を付す作業が行われ、同音異字語を本文文脈に即して選択する事が出来なかった可能性を指摘する。

また、「言葉の和らげ」間での収録語彙の比較から、『サントスの御作業』「言葉の和らげ」掲載語彙の性格を明らかにする。

近代日本における廣瀬武夫漢詩の受容 ~「正気歌」を中心に~ / 笹本玲央奈

明治四十三年、夏目漱石は「文芸とヒロイック」「艇長の遺書と中佐の詩」と題する評論を発表した。前者において、漱石は同年の海軍第六潜水艇沈没事故で殉職した佐久間勉大尉の遺書に言及し、後者では、明治三十七年に日露戦争で戦死した廣瀬武夫中佐の漢詩について、佐久間大尉の遺書と比較しつつ批判している。

周知のように、漱石の漢詩は高く評価されているが、漱石がなぜ廣瀬の詩を批判したのかという点については十分に解明されていない。私見では、漱石は西洋文学を規範とする自身の文学論に基づいて廣瀬の漢詩を論じており、それは後の「則天去私」とも関わる問題である。一方で、漱石の批判にも関わらず、廣瀬の漢詩はその後も現代に至るまで多くの詞華集に収録され、詩吟にもうたわれて国民に親しまれてきた。そのことは何を意味するのか。本発表では、廣瀬武夫漢詩の受容について、漢詩の近代化をめぐる議論や戦争との関わりも視野に考察したい。

慈円「四十八願三首和歌」をめぐって / 山本章博

慈円の私家集『拾玉集』第四(4196〜4199番)に、「上人勧進講四十八願之席同詠三首和歌」と題して「阿弥陀四十八願第六」「月」「無常」を詠んだ三首和歌がある。これについては、同じ組題である「家隆家四十八願勧進和歌」(藤原家隆『玉吟集』所収)と同時のものであった可能性について、山本一氏が和歌文学大系『拾玉集』の脚注においてわずかに言及するのみで、これまで特に注目されることのなかった作品である。

本発表では、この三首和歌と「家隆家四十八願勧進和歌」との関係について改めて検討し、さらに草稿を含めた四首の和歌表現について分析する。その結果として、嘉禄元年(1225年)、死を目前にした生涯最後の和歌で、西行歌からの影響を受けたものであることを指摘する。

上智大学国文学会会員の皆様へ

この度の新型コロナウィルス感染拡大の影響により、大学も入構禁止となり、学生はオンライン講義、教職員は在宅勤務を余儀なくされております。このため、本学会も事務業務が休止しており、例年4月末に「会員通信」と「会費納入のお願い」をお送りしておりますが、今年度は、お送りするのが8月になりました。

1.国文学会と大学院の近況(2020年8月)

2.国文学科近況(2020年8月)

3.国文学論集54 投稿募集(2020年9月12日締切)

 投稿は、締め切りました。

4.国文学会冬季大会・総会について

    今年度は夏季大会を中止いたしました。冬季大会は2021年1月23日(土)にオンラインで開催し、総会は冬季大会にて開催いたします。詳しくは、冬季大会案内を御覧下さい。また、現会長の任期が2020年度夏季大会までとなっておりますが、冬季大会まで延長いたします。

5.「土田賞」について        

 2020年1月に発行された『国文学論集53』掲載の応募論文を対象に、春の理事会にて土田賞の選考を行う予定でしたが、秋の理事会に持ち越すことといたしました。受賞者が決定した場合、冬季大会総会にて授賞式を行います。

6.国文学会へのお問合せ・ご連絡について   

 上智大学国文学会へのご質問やご住所・お名前変更などの連絡はメールでお願いいたします。       E-mail jouchikokubungakkai@yahoo.co.jp

7.国文学会会費納入について

 2020年度(2020.4.1.~2021.3.31.)の会費納入のための郵便振替用紙の発送は、事務局業務再開後となりますが、銀行からの振込、ネット振込で納入下さる場合は次の口座にお願いいたします。

    他金融機関からの振込用口座   

ゆうちょ銀行  〇一九(ゼロイチキュウ)店(019)

当座 0075907  上智大学国文学会

「国文学会報特別号 ― 土田將雄先生追悼号」

上智大学国文学会名誉会員の土田將雄先生のご逝去に伴い、「上智大学国文学会報特別号 ― 土田將雄先生追悼号」が発行されました。目次は次の通りです。

目次

「弔辞」                小林幸夫(上智大学教員)

「神父様からのアドバイス」       小田桐弘子(院修)

「この道の果たてに」          渡辺護(岡山大学名誉教授)

「土田先生の思い出」          大森亮尚(古代民俗研究所代表)

「わが母校」              渡辺清美(七二年卒 旧姓 村松)

「土田先生とのワンシーン」       堤てる江(七二年卒 旧姓 大友)

「あのハヤシライスをもう一度食べたい」 藤平和良(七三年卒)

「先生とのお別れ」           湯浅茂雄(実践女子大学文学部教授)

「かき霧らし雨の降る夜をほととぎす」  草野隆(八〇年卒 院修)

「尽きせぬ宿こそ」           加藤良子(七〇年卒 旧姓 益田)

無題                  平林清江(七一年卒 旧姓 比企)

無題                   川木冴子(七一年卒 院修)

「土田先生をお偲びして」         末沢明子(七二年卒 院修)

「土田先生という神父さん」        横山陽(七三年卒 院修)

無題                   渡邊良水(七三年卒 旧姓 柳沢)

「実学としての変体仮名講義」       小柳恵子(七四年卒 旧姓 倉品)

編集後記                 瀬間正之(上智大学教員)

平成30年度冬季大会の開催

上智大学国文学会

標記は、2019年1月12日(土)、予定通り開催致しました。

小雪の舞う中でしたが、学会員、国文学科在学生、一般の方など多くの方に御参加頂けて盛況の会となりました。

学会長あいさつ

平成30年7月7日に開催されました総会において、小林幸夫会長の任期満了に伴い、瀬間正之教授が新会長に就任されました。つきましては、次に両名の挨拶を掲載いたします。

 

上智大学国文学会会長退任のご挨拶               

小林 幸夫

 

平成三十年三月三十一日を以て上智大学を定年退職し、現在は特別契約教授として勤務しております。定年退職を機に、国文学会会長の職を辞したい旨を理事会に願い出、七月七日の総会によって承認されました。

私は、平成二十四年七月より三期六年にわたって職を務めさせていただきました。その間、歴代の会長全氏のもとで仕事をさせていただいたことを生かすことを旨に、できるだけ多くの会員が本学会に目を向けて下さり、大会に参加していただけるよう、理事の方々に諮って企画等を考えてきました。評議員の方々をはじめ、お力添えいただきました方々に感謝申し上げます。また、温かく見守って下さった会員の方々にお礼申し上げます。

さて、次期会長には瀬間正之教授が就任されました。氏は学部・大学院と上智国文ですごされました。ゆえに、上智大学及び国文学科・大学院の様子を最も体験的に知っておられる方の一人です。氏の経験と繊細な感性が、次の時代を発展的に切り拓いてゆかれること必定です。さらなるご支援をいただけますことと、会員の皆様のご健勝を祈り、退任の挨拶といたします。

 

二〇一八年七月

 


 

ご挨拶             

瀬間 正之

 

このたび、上智大学国文学会会長をお引き受けすることになりました。学部時代は、初代会長土田将雄先生の時代でした。まさか、その四十年後に会長に就くとは思いもしませんでした。思えば、国文学科長も国文学専攻主任も小林幸夫教授の後任でした。国文学会会長もと言うことで、小林教授の後任は三度目ということになります。

国文学論集には、大学院時代から四年連続投稿させていただく等、まさに、国文学会に育てていただいたという思いがしますが、これからは育てていくことも考えていかなければなりません。多くの会員に支えられ、今日まで発展してきた学会です。これまでの蓄積を継承するとともに、新元号のあらたな時代に向けてもさらなる発展を心がけて参りたいと思います。

周知のことですが、本学会は、卒業生を中心に教員・大学院生・学部生と多くの会員によって支えられています。研究発表と研究論文が学会の中心であることは言うまでもありません。学会誌、国文学論集も次号で五二号となります。その間、新進の研究者に授与される「土田賞」も創設されました。受賞者なしの時代も続きましたが、ここ数年の受賞者は、それぞれの全国学会等でも受賞歴を有する大学院生及び修了生となりました。着実に若手研究者も育ちつつあります。

本学会のもう一つの特色は、同窓会的側面も有している点にあります。同窓生の情報交換の場として知的向上心を充足させる場としても、いろいろな企画を考えていきたいと思います。

会員の皆様には、今後とも一層のお力添えのほど、宜しくお願い申し上げます。