弔辞

弔辞

 

土田將雄先生、ここに、先生に教えを受けたり、いろいろな場所で先生と出会ったりした人たちが集まりました。一人一人、それぞれの思いを持って集まりました。それは、先生との関わりを確認し、先生ときちんとお別れをしたいとの思いからです。そのうちの一人として、私が僭越ながら、思いを述べさせていただきます。

先生は神父様として、教員として、研究者として、そして教育行政に関わる人として、つまり四つの分野で活躍されました。そのうち私は、教員としての先生と研究者としての先生という二つの面で先生と接することを得ました。

教員としての先生とは、私は上智大学の大学院で教えを受けました。主に中世和歌の、変体仮名で書かれた本文を学びました。ある時、先生は和歌を研究しているのだから歌会をやろうと言い出され、私たちは短歌をつくることになりました。そのうち、雑誌を出そうと言われ、つくりました。私がその三冊目を編集していると、小林君、これでやめよう、と突然言われました。私はあまりにきっぱりと涼しいお顔で言われるのに驚きました。それで、先生の言われるままにしました。今考えると先生は、教育効果も認められたし、先生ご自身も充分楽しまれたし、ここが潮時、と思われたものと思います。研究を豊かにする体験はほどほどにして、本道に戻ろうとしたものと思われます。私の方では、この先生の態度から、ものごとの〈区切り〉、生き生きとした時間は、区切ることによって保たれるものだ、ということを学びました。このように先生は果断に富む人でした。

研究者としての先生は私たちに〈意欲〉がいかに大切かをよく語られました。今から二年前に、上石神井のロヨラハウスに先生をお訪ねしていろいろとお話をうかがったときも、論文を書く〈意欲〉が〈努力〉を生み、論文の〈体(てい)〉というものがわかってくるのだ、と熱く語られました。先生の研究への思いは、大著『細川幽斎の研究』として燦然と輝いております。

先生はまた、上智大学国文学科に三十四年間勤められ、国文学科及び上智大学国文学会のために多大なるご寄付をされました。それによって奨学金を学生に与えたり、新進の研究者を育成する土田賞を設けるなどして、先生の思いを実現させていただいています。

先生の、私たち後進に対する温かい思いは、形としても心としても、私の胸に生きております。いま、ここに参集された人たち一人一人の中に、先生と一対一の関係で生きております。

思えば先生は短歌を詠み、書道をたしなみ、謡いをなされていました。天に行かれましても、そのよく透るお声で、謡曲を時々はうたってお過ごしください。先生、これまでありがとうございました。先生、さようなら。

 

平成三十年十月三十一日

上智大学国文学科教員  小林 幸夫