故佐野摩美氏寄贈・モリソン中国語辞典の紹介

服部 隆

上智大学国文学会会員の佐野摩美さん(院・85年卒)が2022年2月21日に逝去された。かつて森岡健二先生の研究室で一緒に学んだ者として、まだまだ研究・教育両面で活躍していただきたかった佐野さんを失ったことは、悔やんでも悔やみきれない。

佐野さんはお亡くなりになる前に、所蔵されていたモリソンの中国語辞典を本学国文学専攻に託し、必要とする方々への閲覧に供してほしいと依頼された。佐野さんのご希望を汲んで、専攻として謹んでこの任をお引き受けすることとした。

佐野さんは、大槻文彦『日本辞書 言海』の研究者として学会で知られ、国語学・辞書史研究の分野では、以下のようなご著書・論文を発表されている。

  • 1986年12月 「大言海」底稿について(解釈学会『解釈』32巻12号)
  • 1989年 1月 大槻文彦著「言海」の正書法に就いて(上智大学国文学会『国文学論集』22号)
  • 1991年10月 『和英語林集成』が『言海』の語義分類に与えた影響(近代語研究会『日本近代語研究』1号 ひつじ書房)
  • 2009年10月 江藤秀一・芝垣茂・諏訪部仁編著『英国文化の巨人 サミュエル・ジョンソン』(港の人 第5章第3節「明治期に於けるジョンソンの英語辞典の位置づけ」を担当)

また、母校の光塩女子学院において校長職をお勤めになっていた佐野さんには、国語教育の分野でのさまざまな研究と実践がおありなのは言うまでもない。

さて、佐野さんが寄贈されたモリソンの中国語辞典は、

  1. “字典 A Dictionary of the Chinese Language”. Part the First; Chinese and English, Arranged According to the Radicals. By the rev. Robert Morrison. Vol.I.-Part I. Macao, printed at the Honorable East India Company’s Press, by P. P. Thoms. 1815.
  2. “字典 A Dictionary of the Chinese Language”. Part the First; Chinese and English, Arranged According to the Radicals. By R. Morrison, D. D. London: published and sold by Kingsbury, Parbury, and Allen, Leadenhall Street. Vol.II.-Part I. Macao, China: printed at the Honorable East India Company’s Press, by P. P. Thoms. 1822.
  3. “字典 A Dictionary of the Chinese Language”. Part the First; Chinese and English, Arranged According to the Radicals. By R. Morrison, D. D. Vol.III.-Part I. London: published and sold by Kingsbury, Parbury, and Allen, Leadenhall Street. Macao, China: printed at the Honorable East India Company’s Press, by P. P. Thoms. 1823.
  4. “五車韻府 A Dictionary of the Chinese Language”. Part the Second, Chinese and English Arranged Alphabetically. By the R. Morrison, D. D. Part II.-Vol.I. Macao, China. printed at the Honorable East India Company’s Press, by P. P. Thoms. 1819.
  5. “五車韻府 A Dictionary of the Chinese Language”. Part the Second, Chinese and English Arranged Alphabetically. By R. Morrison, D. D. Part II.-Vol.II. Macao, China. printed at the Honorable East India Company’s Press, by P. P. Thoms. 1820.
  6. “A Dictionary of the Chinese Language” Part the Third, English and Chinese. By R. Morrison, D. D. Part III. Macao, China: printed at the Honorable East India Company’s Press, by P. P. Thoms. Published and sold by Black, Parbury, and Allen, Booksellers; Leadenhall Street, London. 1822.

上記の6冊である(1、4、6の扉、および1の本文の写真を末尾に掲げる)。これは、現在『马礼逊文集』(张西平・彭仁贤・吴志良主編:大象出版社:2008.1)所収のRobert Morrison編『华英字典(A dictionary of the Chinese language)』(6冊)においても、影印の形で内容を確認できる。

モリソンの辞典が本邦に与えた影響については、すでに陳力衛『近代知の翻訳と伝播 漢語を媒介に』(三省堂 2019年)が第1部第5章で説明するところである。

モリソン(R. Morrison 1782-1834)は、イギリス生まれのプロテスタントの牧師で、1807年から中国で聖書の翻訳や辞典の編纂に従事した。

江戸時代から明治初期にかけての翻訳語彙には、日本における蘭学者の翻訳と中国における翻訳語彙の輸入という二つの流れがあるが、モリソンの辞典は両者をつなぐもので、前掲書によれば、長崎の蘭通事・吉雄権之助(1758-1831)がこの辞典を入手し、これを元に、オランダ語を付した三語対訳の辞典を編集していたという。

上記対訳辞典の原本は所在不明であるものの、その系統に属すると考えられる写本が、佐野摩美さんの同級生、大橋敦夫氏の「千葉県立佐倉高等学校蔵『模理損字書』訪書記:真田宝物館蔵『五車韻府』との書誌比較」(『上田女子短期大学紀要』27 2004年)により千葉県立佐倉高等学校、および真田宝物館に所蔵されていることが報告されている。

なお、本邦におけるモリソン辞典の書誌研究に当たっては、上記の陳氏の著書の他、飛田良文・宮田和子「十九世紀の英華・華英辞典目録」(『国語論究6 近代語の研究』明治書院 1997年)が、「佐野本」に言及しており、佐野さんの寄贈本は日本における洋学研究において貴重な資料と言える。

モリソンの辞典には、陳力衛氏によれば、「天体、地球、天文、地理、対数、平方」などの訳語が見られるという。佐野氏寄贈本を活用し、近代語彙研究を引き継ぐ若手の国文学会会員の現れることを、大いに期待するものである。(2022.9.14)

◆1.扉
◆4.扉
◆6.扉
◆1.本文(14-15ページ)
◆6冊全体

2021年度夏季大会発表者募集

今年度の夏季大会は、2021年7月10日(土)午後zoomにて開催予定です。

発表者募集は、締め切りました。(2021年5月19日)

発表をご希望の方は、

1.氏名

2.メールアドレス

3.所属

4.発表題目(仮題でも可)

5.発表要旨(200~400字)

をご記入の上、2021年5月18日23時59分までに、申し込みサイトにてご送信ください。

国文学科同窓会設立総会及び第一回同窓会のご案内

上智大学同窓会の学科同窓会設立総会準備委員会よりのお知らせを転載します。


国文学科卒業生の皆さまへ

2019年ソフィア会春の代議員会で国文学科同窓会が承認されました。
しかし20年からのコロナ禍により設立総会を開催することができませんでした。
21年度もコロナの感染状況、ワクチン接種の進捗状況を見ますと、対面での開催は難しいと思われます。
そのため、5月30日オンラインASF(上智大学オールソフィアンズフェスティバル)上での設立総会及び同窓会開催の準備を行っております。

期日:2021年5月30日(日)午前10:30~12:00 Zoomにて開催

お返事の期限:5月23日

世界中、日本中どこからでも繋がれますので是非ともご参加ください。

Zoomのパスコードは参加のお返事をいただいた方に24日以降メールでお送りいたします。

【連絡先】
真下クルミ(73年卒)mashimokurumi@gmail.com
国文学科同窓会 kokubun@sophiakai.gr.jp(CCにこのアドレスをつけてお送りください)

【Zoomについて】
スマホ、タブレット、パソコンから参加できます。あらかじめZoom
アプリのダウンロードをしてください。

ダウンロード方法
iPhone:アップルストア→検索→Zoom→入手→インストール→パスワード入力→完了
android:playストア→検索→Zoom→インストール→完了
*タブレットはこれに準じます。
パソコン:スタートメニュー→ストア→検索→Zoom→無料→インストール開始→完了。

*Zoomでの参加は初めて、不安という方のために24日の週に体験会を予定しております。


尚、同期、同窓のお知り合いがいらっしゃいましたらお知らせくださいませ。
こちらから当日のZoom URLをお送りいたします。

学科同窓会設立総会準備委員会 真下クルミ(73年卒)

2020年度冬季大会 発表要旨

『日本書紀』と六朝口語 /石璽彦

『日本書紀』は周知の通り、漢文で書かれた日本最初の正史である。しかしその漢文の表現は、古来から不自然だとする指摘もある。また、その表現に多くの当時の中国口語が含まれることは小島憲之氏・瀬間正之氏・唐煒氏などにより、多くの先行研究で提示されており、『日本書紀』の表現形成で大きな役割を担うことが証明されている。この中に、伝来した漢訳仏典の影響が多いことが注目されており、多くの論述もその視点で論証されている。しかし、『日本書紀』の「地の文」・「会話文」という視点から中国口語の用法を考察する方法は未だまだ採られていない。

したがって、今回の発表では、『日本書紀』全文の中国口語用例を摘出し、「地の文」・「一重会話文」・「二重会話文」という三つの種類を分類し、テーブル式で整理する。データを集計し、分布・使用傾向・偏在などを一層明瞭にすることを目指したい。

キリシタン版『サントスの御作業 内抜書』「言葉の和らげ」の掲載語彙 / 中野遙

キリシタン版『サントスの御作業 内抜書』(1591)には、本文中の分別しにくい語を説明した「言葉の和らげ」が付されているが、立項されている語の全てが本文中に見える訳ではない。本文不在の語は同音異字語が多く、また、漢字表記を持つ見出しであっても、その表記を示唆するルビが付されていない場合が多い。本文不在の語が同音異字語に多いのは『ヒイデスの導師』(1592)の「言葉の和らげ」などに於いても顕著であり、編纂側も本文中の正確な漢字表記を把握しないままに語釈を付したためと考えられる。先行研究の通り、「言葉の和らげ」に見られる語義は原則として本文に依存したものであるが、一方で、本文文脈から切り離されて語釈を付す作業が行われ、同音異字語を本文文脈に即して選択する事が出来なかった可能性を指摘する。

また、「言葉の和らげ」間での収録語彙の比較から、『サントスの御作業』「言葉の和らげ」掲載語彙の性格を明らかにする。

近代日本における廣瀬武夫漢詩の受容 ~「正気歌」を中心に~ / 笹本玲央奈

明治四十三年、夏目漱石は「文芸とヒロイック」「艇長の遺書と中佐の詩」と題する評論を発表した。前者において、漱石は同年の海軍第六潜水艇沈没事故で殉職した佐久間勉大尉の遺書に言及し、後者では、明治三十七年に日露戦争で戦死した廣瀬武夫中佐の漢詩について、佐久間大尉の遺書と比較しつつ批判している。

周知のように、漱石の漢詩は高く評価されているが、漱石がなぜ廣瀬の詩を批判したのかという点については十分に解明されていない。私見では、漱石は西洋文学を規範とする自身の文学論に基づいて廣瀬の漢詩を論じており、それは後の「則天去私」とも関わる問題である。一方で、漱石の批判にも関わらず、廣瀬の漢詩はその後も現代に至るまで多くの詞華集に収録され、詩吟にもうたわれて国民に親しまれてきた。そのことは何を意味するのか。本発表では、廣瀬武夫漢詩の受容について、漢詩の近代化をめぐる議論や戦争との関わりも視野に考察したい。

慈円「四十八願三首和歌」をめぐって / 山本章博

慈円の私家集『拾玉集』第四(4196〜4199番)に、「上人勧進講四十八願之席同詠三首和歌」と題して「阿弥陀四十八願第六」「月」「無常」を詠んだ三首和歌がある。これについては、同じ組題である「家隆家四十八願勧進和歌」(藤原家隆『玉吟集』所収)と同時のものであった可能性について、山本一氏が和歌文学大系『拾玉集』の脚注においてわずかに言及するのみで、これまで特に注目されることのなかった作品である。

本発表では、この三首和歌と「家隆家四十八願勧進和歌」との関係について改めて検討し、さらに草稿を含めた四首の和歌表現について分析する。その結果として、嘉禄元年(1225年)、死を目前にした生涯最後の和歌で、西行歌からの影響を受けたものであることを指摘する。

2020年度冬季大会発表者募集(※締切を延長しました)

今年度の冬季大会は、2021年1月23日(土)を予定しております。(開催形態は未定です)。

発表御希望の方は、下記の内容を明記の上、お申し込み下さい。

お申し込みは、原則として、発表題目・発表要旨のpdfをメールに添付して御送付下さい。

応募締切は、2020年11月10日23:59JSTまでにメールが到着のもの、郵送の場合は、2020年11月10日必着となります。

学会理事会にて発表者を決定し、その結果を御通知します。

1. 発表者名・所属

2. 発表の題目(仮題でも可)と発表要旨(200~400字程度)

3. 発表時間は30分とします

4. 応募先:

〒102-8554 東京都千代田区紀尾井町7-1 上智大学 文学部国文学科内

上智大学国文学会事務局

電話・FAX 03-3238-3637

e-mail: jouchikokubungakkai@yahoo.co.jp

国文学科近況(2020年8月)

コロナ禍中の国文学科について             2020年8月23日

                       国文学科長 長尾 直茂

 誰しもが、(こんな事になるとは)と悪夢に魘されるかのような、年度末から年度初めにかけての忌まわしい時期を過ごされたものと思う。以下、時系列的にコロナ感染症流行のために影響を蒙った学科行事について備忘録的に書き留めて、近況報告に代えたいと思う。

 新型肺炎の感染症が中国で流行し始めたことは2020年の正月には、すでに身近な話題となってはいたが、その時点では正しく対岸の火事のようなもので、誰もがこのような世界的な感染拡大となることなぞ想像すらしていなかったであろう。それが証拠に、1月11日(土)には予定通り国文学会が開催され、2020年3月を以て大学を退かれる予定であった、小林幸夫・西澤美仁両教授の記念講演を恙なく執り行い、学会後は会場を四ツ谷駅前の主婦会館に移して歓送会を行ったのである。コロナウィルス流行下の現在からは到底考えられないことであるが、宴席には両先生を慕って多くの卒業生も駆けつけ、それはそれは盛大で賑やかな会であった。

 2月初めには一般入試が始まり、通常通りの日程で全試験を実施した。しかし、この際にはすでに日本におけるコロナウィルスの流行が問題視され始めていたため、入試日程が予定通りこなせるか否かで、関係部署はひじょうに気を揉んだとの事、後に耳にした。確かにコロナウィルスがひたひたと忍び寄って来ていることが、日々刻刻とわかるような時期であった。国文学科には例年と変わらぬ数の受験生があり、無事に新入生60名を選抜することができた。

 2月の中旬には大学院の修士論文口頭試問や大学院入試も予定通り行うことができたが、この頃には相当に雲行きがおかしくなっていた。横浜の大黒埠頭に停泊したままのダイヤモンド・プリンセス号内のパンデミックが連日のように報道されて、人々の不安は日増しに高まって来ていた。

 2月下旬に大きな転機を迎えた。これ以降は全ての行事が中止となった。大学院修了生の壮行会や学科会議等の人の集まる会合は取り止めざるを得ず、学内の課外活動も全面的に中止となった。学生のいない大学は、風ばかりが吹いて閑散として寂しかった。この後、3月24日(火)に挙行される予定であった卒業式すら取り止めになった。それでも24日には袴や背広の礼服を身にまとった卒業生がキャンパスに集まり、互いに卒業を喜び合う姿がここかしこに見受けられた。謝恩会の開催も大学から中止するよう通達があり、われわれ教員は卒業生と別れを惜しむ機会もなく年度を終えることとなった。

 4月からの新年度については、思い返したくもないほどの状況であった。入学式も取り止め、オリエンテーション・キャンプもフレッシュマン・ウイークも当然のごとく無し。非常事態宣言が発令されてからは、加速度的に諸般の行事の中止が決定され、大学構内にすら自由に入ることができないような状況となった。講義の実施もオンラインとなり、対面で行う講義は全て禁止された。新入生60名と顔を合わせることもなく、新年度が始まったのである。

 こうした最中に学科には、新任教員として山本章博准教授が着任された。山本准教授は本学及び大学院に学ばれた方であるので、学会員の多くはご存知のことと思うが、中世文学を専門とされ、3月を以て退休された西澤教授の講義を引き継ぐ形での着任となる。山本准教授が学科のスタッフに加わり、小林・西澤両教授が退かれたことで、学科所属の教員は8名となった。依然として近世文学を担当する教員を欠いている状況ではあるが、学科が若返りを図りつつ着々と優秀なスタッフを迎えて活性化の傾向にあることは、何よりの慶事であると思う。

 5月25日(月)よりオンラインでの講義を開始して以降、6月に開催予定であった、高校生向けのオープンキャンパス、保護者を大学に招いての地域懇談会も三密を避けるために中止。7月11日(土)に開催予定であった国文学会も遺憾ながら中止とした。かくして前代未聞の春学期は終了した。そして、今なお全国的にコロナウィルス感染者がじりじりと増加する傾向にあることをうけて、大学では秋学期の講義も基本的にオンラインでの講義とすることに決定した。1年間にわたって対面での講義を行わないという、前代未聞の事態となることがすでに決まっているのである。

 秋学期には入学試験という、大学にとってきわめて大切な行事がある。こればかりは中止するわけにはゆかず、何としてでも実施せねばならないのであるが、前代未聞のことが起こらぬことを祈るばかりである。

 次回の近況報告では、学科の明るい展望を学会員の皆さまに報告したいと切実に思う。

国文学会と大学院の近況(2020年8月)

国文学会と大学院の近況                 2020年8月21日

               国文学会会長・国文学専攻主任 瀬間正之

 新型コロナウィルス禍で、卒業式・入学式もなく、春学期は試行錯誤のオンライン授業となりました。未だに新入生とは対面しておりません。卒業生とは、卒業証書配布の日に、それぞれの研究室単位で、数分立ち話を交わしたのみです。もちろん、学部の謝恩会も、大学院の壮行会も中止でした。

 大学院は、前期課程に四名、後期課程に三名の新入生を迎えました。昨年は前期課程0名、後期課程1名のみでしたので、活性化が期待できますが、授業はすべてオンラインで、新歓コンパも、毎月の例会も中止です。唯一、Zoomで自己紹介を兼ねた研究の現況の発表会を行ったのみです。

 今のところ、学生はもちろん、教員も原則として自宅待機です。学生はかろうじてあらかじめ手続きをすれば、図書館に短時間入室し、図書を借りられるようにはなりました。大学院生も手続きをすれば、国文学研究室の利用ができるようになってはいます。教員の入校も正門で教職員証の提示が必要です。学科事務室も現在は原則水曜日のみの開室です。秋学期もオンライン授業となることが決定しました。

 本学会も三密を避け、夏季大会は中止せざるを得なくなりました。帰省自粛とGOTOキャンペーンの共存が象徴するように、政権は相変わらず、密会・密談・密約の三密を繰り返しているようです。このままでは、冬季大会の開催も危ぶまれます。この秋から多くの学会がZoom開催の方向で大会を計画しています。冬季大会もオンライン開催となるかも知れません。

 さて、明るい話題を一つ。昨夏は、国際シンポジウム「第二回 日語日文学研究の現在」を釜山大学で開催しました。第一回の二〇一四年は、釜山大学日語日文学科と上智大学国文学専攻主催、釜山大学日本研究所共催という形でしたが、昨年は共催に上智大学国文学会も加わりました。大学院を修了したばかりの若手研究者も発表に加えるための措置でした。八月二六日出発、二七日に両校の院生・若手研究者の発表と懇親会、二八日は『高麗大蔵経』の版木を残す世界遺産海印寺・慶北大学博物館などを見学、二九日帰国という慌ただしい日程でしたが、有意義な交流となりました。写真はシンポジウム会場と海印寺で撮ったものです。

シンポジウム会場にて
海印寺にて

 冬季大会でお会いできればと思いますが、どうなることでしょうか。

国文学論集54 投稿募集

上智大学国文学会「国文学論集」54は、2021年1月に刊行を予定しており、皆様の御投稿をお待ちします。

1. 御投稿は、原則として、pdfをメールに添付して、次へお送り下さい。

jouchikokubungakkai@yahoo.co.jp

2020年9月12日(土)23:59 迄に到着したものを、有効な投稿とします。
尚、メールへの添付が困難である場合は、十分に余裕を見て、事前に御相談下さい。

2. 紙の形で投稿される場合は、次へお送り下さい。

〒102-8554 東京都千代田区紀尾井町7-1
上智大学文学部国文学科内 上智大学国文学会事務局

2020年9月12日(土)の消印までを、有効な投稿とします。

3. これ以外については、国文学会ホームページの「国文学論集 投稿規程」
を御覧下さい。

図書館6階国文学研究室・閉室

上智大学中央図書館6階の国文学研究室は、学長からの指示により、新型コロナウイルス対策として、当分の間、利用を停止致します。(2020年4月3日掲示)

上智大学中央図書館6階の国文学研究室の2020年4月上旬の開室予定は未定です。(2020年3月31日掲示)

上智大学中央図書館6階の国文学研究室は、2020年3月いっぱい閉室しますので、御利用になれません。(2020年2月29日、国文学科図書委員会決定)

2019年度冬季大会 発表要旨

上智大学国文学会 2019年度冬季大会発表要旨

標記は、次の通りです。

大会プログラムはこちらです。

抒情小曲集『思ひ出』のスタイル ―「断章」を中心に
青木 裕里香

北原白秋は生涯を通して詩・短歌・童謡などの領域に活躍の場を見出したが、その中でも詩の領域に目を向けると、詩人としての白秋の評価は曖昧なまま留保されている。白秋の詩人としての出発において注目すべきであるのは、第二詩集『思ひ出』(1911年、東雲堂書店)である。処女詩集は『邪宗門』(1909年、易風社)であるが、『思ひ出』は白秋独自の詩境に達したといわれる作品群であり、近代詩史においても白秋のキャリアの起点となった意味でも重要な詩集である。 本発表では『思ひ出』の中でも「断章」の詩群を中心に、象徴詩の気運が取り巻いていた当時の詩壇において、白秋が選び取った〈抒情小曲〉のスタイルとはいかなるものであったのかを分析する。検討の手がかりとして、「断章」製作期と考えられる時期に、象徴詩とは質が異なる傾向の詩に白秋が用いた〈純感情〉という語について着目しつつ、『思ひ出』が近代詩史において切り拓いた詩的表現について論じる。

浮世草子にみえる艶書の意味と時代性 ―書肆・川勝五郎右衛門刊の作品を中心に―
岡部 祐佳

近世期には、艶書(恋文)とそのやり取りを中心とする艶書小説が多く刊行された。『薄雪物語』『錦木』などはその代表であるが、それらは恋の展開を描く物語としての娯楽性と、和歌や古典知識の教授という啓蒙性を備えるとされてきた。娯楽性と啓蒙性の両立は仮名草子というジャンルの特性ともいえるが、浮世草子にみえる艶書、あるいは浮世草子に分類されている艶書小説にも、同様の意識が備わっていると考えられるものがある。  本発表では以上の問題意識から、浮世草子にみえる艶書について、川勝五郎右衛門が刊行に関わった『新薄雪物語』(正徳六年〈一七一六〉刊)『雲のかけはし』(享保四年〈一七一九〉刊)『薄紅葉』(享保七年〈一七二二〉刊)を中心に考察を行う。具体的には、女子用往来の刊行が相次いだという近世中期の時代性、艶書の散らし書き形式の問題、そして書肆・川勝五郎右衛門の営為との関連について検討することを予定している。