ご一緒した釜山と台南
国文学科教授 瀬間正之
木越さんと言えば、忘れられないのは、二〇一四年夏、院生・教員二〇名で参加した釜山大とのシンポジウムの際、三晩続けてナクチ(手長蛸)の活き作りをご満悦そうに頬張る姿である。生きたままのナクチを刻み、ごま油と塩をかけただけのお手軽料理であるが、韓国人でも蠢くその光景に敬遠する者もいる。シンポ前日のチャガルチ市場で味をしめられたのか、翌日、翌々日と連続して立ち寄った西面の屋台でもナクチを所望され、取り憑かれたように食されていた。屋台では、飲んだ焼酎の空き瓶を一列に並べる提案を出され、隣の店から借りてくるほど大量に消費した空き瓶が一列に並ぶ光景は胸が空く思いであった。
二〇一七年新春には、院生と小林さんを混じえた数人で台湾旅行にご一緒した。木越さんの故郷金沢の偉人八田與一技師が稲作灌漑用に造った台南の烏山頭ダム見学では、八田與一像と2ショット。これまたご満悦であった。夜は小林さんの部屋で毎晩シーバスリーガルを飲んだ。このシーバスもすっかり気に入られたようであった。飲みながら当時の韓国映画についてご紹介したところ、帰国後早速その「国際市場で会いましょう」を御覧になったとのメールがあった。感涙なしに観られなかったということで、その後韓国映画を見歩く趣味を持たれたようである。
よもや、台湾旅行から一年余りで急逝されるとは思いも寄らなかった。おいしそうに飲む姿と幸せそうに食べる姿ばかりが焼き付いている。その姿を思い起こす度にこちらも幸せな気分になる。