『日本書紀』における「与」字と「及」字 李 明月
坂本太郎氏は『日本古代史の基礎的研究上 文献篇』(東京大学出版会・一九六四年)において、『日本書紀』において「与」字は二つの事項を連ねて並べるという用法が、天智紀・持統紀に多用されていることを指摘した。
一方『日本書紀』では、二つの事項を繋げて並べる時に「与」字の他に「及」字も多用されている。
本発表では、『日本書紀』に見られる虚詞「与」字と「及」字との用法と使用状況について比較調査を行い、各巻の「与」字と「及」字の用法の特徴をまとめる。その調査結果を踏まえて、坂元氏の指摘の妥当性を考えるとともに、『日本書紀』の区分論と『日本書紀』の成立について考究する。
六国史漢文詔勅の文章表記の特徴について 王 沁臻
大宝律令以後に、文書で行政を行うために、漢文体の詔勅が発給されるようになった。これらの漢文詔勅の文章は、中国の詔勅を参考に、翻案した部分が存しつつも、変体漢文のように和訓で作成する部分や、さらに宣命のように音声で唱え上げた部分があるとされている。しかし、一般的に和訓で書写された漢字資料として、『古事記』、『万葉集』、宣命が挙げられ、独特な用字法が見られるが、漢文詔勅とこれらとはあまり比較されて来なかったと言える。
本発表は、漢文詔勅を始めとする六国史の文章を対象に、その中に使用される漢字・漢語を数例取り上げ、変体漢文や正格漢文との比較を行うことで、その用字法、ひいては文章表記の一部を明らかにするものである。
芭蕉の文章論と四六駢儷文の作法――『三冊子』と『四六文章図』 砂田 歩
芭蕉の文章論に詩文の影響が認められることは、繰り返し指摘されている。しかし、その影響は、主に詩文集を介したものと理解されているようである。本発表では、芭蕉の文章論には、詩文集、いわば詩文そのものだけではなく、四六駢儷文の作法の影響があったことを論じる。
はじめに、『三冊子』に見える芭蕉の文章論と、四六駢儷文の作法書である『四六文章図』(寛文六年〈一六六六〉刊)の記述に、類似が認められることを論じる。次に、芭蕉が四六駢儷文の作法に触れたきっかけが、『四六文章図』の著者である大顛や、門人の支考との交流にあったことを論じる。おわりに、四六駢儷文の作法にもとづいた、芭蕉の文章の分析を試みる。
キリシタン版ローマ字本「言葉の和らげ」の語釈中漢語語彙について
―同時代日本資料との対照を中心に― 中野 遙
一般に、漢語:和語=難:易の関係にあると考えられるが、漢語の中にも難易の位相は存在する。キリシタン版宗教書付属の語彙集「言葉の和らげ」に於いても、見出し語は漢語が圧倒的に多いが、中には、語釈側に用いられる漢語も存在する。この語釈側に用いられる漢語の中には、「言葉の和らげ」間で共通する例が少なくない。これらの漢語は、更に、キリシタン版語学辞書の語釈や、キリシタン版本文の中でも用例が確認される。漢語の中でも、キリシタン語学に於いて、日本語の釈義に用いる事の出来る漢語であると考えられる。
本発表では、この漢語語彙が、キリシタン版に限らず、同時代日本資料の釈義の中の漢語語彙とも共通する事を指摘する。ここから、キリシタン版の語釈、特に「言葉の和らげ」の語釈の漢語に、同時代の日本に於いても釈義の中にも使用される、「易」の位相の漢語が見られる事を述べ、「言葉の和らげ」の日本語資料としての位置付けを行う。