木越治先生葬儀之記

木越治先生葬儀之記

国文学科教授 長尾直茂

平成三〇年三月三日午後六時より桐ヶ谷にて木越先生の逮夜が執り行われた。先生らしい無宗教の音楽葬というスタイルであった。〝先生らしい〟とは、あれほどまでに怪異の世界にこだわり、そして生涯にわたって科学的に研究された先生が、自らの最期までを客観視されようとするかのような潔さを無宗教というスタンスに感じたからにほかならない。そして、斎場に流れるジャズやクラッシック、流行歌などの様々な楽曲を聴きながら、(先生はいつも研究室で音楽を聴いておられたなあ)と懐かしく想い返したからでもあった。時にはお気に入りの志ん朝の人情噺をしんみりと聞き入っておられることもあり、かと思えばウェザー・リポートのファンクなグルーブ感いっぱいの音楽を大音量で聴いておられることもあり、いずれも好みにかなって、私も洩れ来る音源をこっそりと御相伴したことであった。

逮夜では奥様が挨拶に立たれ、病気の経過等を説明された。抗癌治療が功を奏し始めた矢先の逝去であった事、そして「リハビリがしたい」と最期におっしゃって先生は他界された事等のお話をうかがい、何とも遣り切れない気持ちで胸が一杯になった。記憶が朧気ではあるが、斎場にはクリフォード・ブラウンの名盤「ウイズ・ストリングス」からの曲が流れていたような気がする。ブラウニーの奏でるトランペットがこんなにも哀しい音色であることを、これまで知らなかった。

献花の後、別室で酒食のご接待に与った。見知った顔の方がたくさんおられたが、酒を飲む気にならず、早々と席を抜け出した。人気のない斎場の柩の中に、先生はこれまで拝見したこともない表情で静かに静かに眠っておられた。

明日四日の午前一一時より葬儀が行われた。昨日同様に無宗教の音楽葬というスタイルであった。友人を代表して渡辺憲司先生が弔辞を述べられた。若い頃からの木越先生との交遊をしゃべられた後、最後になって柩に向かって〝木越〟と呼びかけ、「おまえのいない学会なんて面白くないから、もう行きたくない」と言われた。思わず目頭が熱くなった。

音楽葬の掉尾を飾ったのは、ジュリー・アンドリュースの唄う「サウンド・オブ・ミュージック」であった。この曲が先生に捧げられ、皆は静かに聴き入った。あのジュリー・アンドリュースの澄み切った美しい歌声は、まるで聖歌のように斎場に響いた。正しく音楽の調べThe sound of musicとともに先生の御魂は天に昇ってゆかれたのではないかと思う。この後先生は荼毘に付されて、私どもの知る先生はこの世からおられなくなった。皆と別れて独り横須賀線に乗って帰る途中、電車は大きな音をたてて鉄橋に入り多摩川を渡った。ふと向こうに丸子橋が見えた。(木越先生はあの辺りに住んでおられたのだった)と思い、いっそう切なくなった。