木越さんとの旅

木越さんとの旅

国文学科教授 豊島正之

上智大学に移って2年目の2014年度の冬、運良く重点研究予算を頂いた私は、木越さんと大学院生二人と共に欧州を旅した。版本キリシタン版・キリシタン写本の紙、本の重み、インキの載りなど、書物としてのキリシタン文献の姿を木越さんに見て・触れて貰い、その生産現場へ思いを馳せる木越さんの姿が見たかった。このため、手動プレス印刷時代の印刷所の姿をそのままに残すプランタン・モレトゥス印刷博物館(アントワープ)も旅程に組入れ、リスボン・エボラ・ブリュッセル・アントワープ・パリの五都市を訪問する忙しい旅となった。

木越さんは、建前がお嫌いである。怪しいロジックで武装しても、本音を言って見ろと急所を突いて来る。旅の途中に、キリシタン版の技術に就て色々と御下問があった。論文に書き、書物にもし、講義でも繰り返した説明を並べ立てていると、「で、それは何故なの?」と来る。容赦無く掘り下げ続ける御下問に、手の内の材料を使い尽して応戦これ努めるうち、どうしても説明出来ない、もはや命題というに値しない、単なる思い込みの様なものに到達する。「で、それは何故なの?」「論証出来ないけど、これ以外には思いつかない」と白状すると、ようやく御満悦である。専門分野でもこの手で丸裸にしてるのなら、近世文学を専門にしなくて本当によかった、とつくづく思った事だった。

プランタン・モレトゥス印刷博物館では、当時のプレス印刷機に吸い寄せられる様に近付いて詳しく観察され、夥しく並んだ活字箱を見ながら、「たったの50文字(大小アルファベット)でこれ(この規模)なら、仮名・漢字はどうしたんだ」という、これまた本質を突く疑問を呈され、やむなく「イエズス会の漢字字書(「落葉集」)は、実は活字索引だった」という(根拠も何も無い)思い込みを披露するに及んで、ようやく満足された。

夜行便で到着した初日のリスボンの昼、ポルトガルらしい素朴な野菜のポタージュを評価されたのは意外だったが、ブリュッセルはやはり別格だった様で、夜のグラン・プラスの絶景に接しての「これがヨーロッパですか!」の一言は忘れられない。そのグラン・プラスの地元料理屋に、ベルギービールの長いリストがある。木越さんは、一日目の晩に、そのほぼ半分を試された。翌晩もその店で残りの半分を飲みたいというから閉口した。その店の料理は、豚肉をリンゴとじゃがいもと一緒にココットに放り込んで蒸し焼きにした様な素朴極まるもので、ビールリストのためだけに何も裏を返さなくてもと思うのだが、目録にある限りはコンプリートせずには置かないという気質を、ここにも発揮された様だった。

これに懲りて、パリの店は全て勝手に決めた。中でも、季節のBelon(ブロン)の牡蠣を召し上がって頂けたのは幸運だった。Belonは、普通の牡蠣の数倍の値が付く。その店の最後のBelon 6個を注文し、全て木越さんに食べて頂いた。「四つめを飲み込んだあたりから、ようやく味が分かって来た」との御感想だったが、正にBelonの精髄を味わって頂けた事になる。

木越さんとは、拙作のパソコン用ソフトウェアを愛用して頂いたりで、30年以上のお付き合いになる。秋成を題材にした「国文学のためのPython入門」の共著の計画もあったが、私の怠惰のために機を逸したのが心残りである。