大学院近況(2018年4月)

国文学科専攻主任 西澤美仁

学位取得が相次いでいる。昨年、
1.丸井貴文『近世中期文学と白話小説―初期読本成立史の再構築―』
を紹介した。丸井氏は本年4月から、岡山の就実大学人文科学 部表現文化学科の講師に就任したが、昨年度は
2.遠藤佳那子『近世後期テニヲハ論の展開と活用研究』
3.原貴子『森鷗外の現代小説―対等・平等の探求―』
が続いた。2年間で3人の博士取得はかつてなかったことで、さらに二、三の院生がそれに続こうとし ている。大学院に活気が甦ってきた、と言っていい状況なのであろう。

とはいえ、現役院生の人数は増えていない。前期課程に3名新入生が入ったが、前期課程から1名修了者が出、後期課程から2名満期退学者が出たので、昨年度と同数の11名が本年度の在籍数である。人数は増えていないが、質的な向上は間違いないので、やがて桃李の下に人は集まるはずである。

桃李ではないが、今年は桜が例年になく早く開花して、3月のうちに散ってしまった。大学院学位授与式(修了式)のあと、真田堀の花の下で花見の宴を開くことは、例年どおりできたが、入学式には間に合わなかった。まるでその代わりのように、今年は奇妙な駆け引きを見た気がした。旧暦2月15日が3月31日に あたって、3月24日に満開宣言をした東京ではちょうど7日目だったのである。万葉1748に「七日はすぎじ」とあり、山家集81に「散らぬ七日」とある、満開の最後の1日に、「如月の望月」の方から合わせてきた感があった。月の引力ではないが、引き寄せられた、という感じだ。

花の下から月を見た方はどれくらいいらっしゃるだろう。私自身は、西行学会から西行生誕九百年祭実行委員長を仰せつかっていたので、たのしみにはしていたが、40年来の友人の急逝に遭って、望月は葬儀場の屋根の上に見た。先を越されてしまうと、その終生忘れられない構図の上書きには意味がないように感じられるばかりで、帰宅後は花見に出かけなかったが、私にはまだ早い、と自分に 言い聞かせようともしていた。

そういえば、30年ほど前に西行八百年御遠忌が行われたころは、何年も続けて、雪月花が実現した。「風流とは寒いものだ」の名言を残して、吉野で雪月花を堪能した翌年に逝った山本健吉の『雪月花の時』(1988角川書店)などを思い出すが、私も雪と花吹雪が交錯する上野に月を見に行ったりした。御遠忌の記念出版として『西行関係研究文献目録』(1990貴重本刊行会)を編んでいたころだった。西行の引力ということになるのだろうか。花は咲き、散るものである。月は毎月満ち欠けを繰り返す。しかし、わざわざ桜の満開の花のしたまで行って、花越しに満月を見ようというのは、明らかに文学的行為である。私達は、生活や記憶の中にいくつ 文学的行為を持っているだろうか。

つい思い出話の方が長くなった。年は取りたくないものである。山本健吉が「雪月花の時」の典拠を白氏文集に求めると、花は桜ではなくて、梅や桃李になると書いていたのに引き寄せられたらしい。